パチンコ、パチスロ業界ニュース

『遊技日本』

パチンコ歴史館 1970年~1979年

年代 業界の出来事 社会の出来事
1970年
(昭和45年)
●1回の遊技料金が50円から100円に引き上げ。
●100円に対応した自動貸玉機が登場。
●日工組が東京・大阪においてパチンコショーを開催。
●エノケンこと「喜劇王」榎本健一氏が死去。
●大阪万博が開催。約6,400万人を動員。
●初の公害メーデーが開催。
●よど号ハイジャック事件発生。
1971年
(昭和46年)
●平和が着脱分離式の遊技機、通称・SP機を開発。 ●NHK総合で全放送のカラー化を開始。
●イタイイタイ病訴訟で第1審が原告勝訴となる。
●日本初となるマクドナルドの1号店が銀座にオープン。
1972年
(昭和47年)
●貸玉料金が2円から3円に改正。同時に1回の遊技料金100円以内の制限がなくなる。
●電動式遊技機が許可されるように。
●立ち遊技から椅子に座っての遊技が一般的に。
●全遊協執行部が総辞職。
●ミュンヘンオリンピック開催。
●最高裁で日照権が初めて認められる判決。
●日中国交正常化の証として上野動物園にジャイアントパンダが贈られる。
1973年
(昭和48年)
●景品の最高金額が500円から1,000円に引き上げられる。
●電動式ハンドルが登場。
●為替レートが固定相場制から現在の変動相場制になる。
●日本での出生数がピーク(209万人)に。
●巨人軍がV9を達成。
1974年
(昭和49年)
●電動役モノが登場。 ●佐藤栄作元首相がノーベル平和賞受賞。
●カーネーション革命が起こり、ポルトガルの独裁体制が崩壊。
1975年
(昭和50年)
●全国の遊技場数が1万件を突破。 ●サッチャーが女性では初となる党首に(イギリス・保守党)。
●エリザベス2世夫妻が来日。
●3億円事件が時効に。
●第1回先進国首脳会議がフランスで開催。
1976年
(昭和51年)
●風営法改正により、遊技場の許可更新が従来の3ヵ月から6ヵ月に延長。 ●ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕される。
●南北ベトナムが統一され、ベトナム社会主義共和国が設立。
●宅急便サービスがスタートする。
1977年
(昭和52年)
●景品の最高金額が1,000円から1,500円に引き上げられる。
●娯楽施設利用税150円から200円に引き上げ。
●3メダル5ライン仕様のスロットマシンが登場。
●西陣からテレビのついた「テレビパチンコ」が登場。
●国民栄誉賞が制定され、第1号にホームランの世界記録を樹立した王貞治氏が選ばれる。
●白黒テレビ放送が廃止される。
●気象衛星「ひまわり」が打ち上げられる。
●大学入試センターが開設。
1978年
(昭和53年)
●貸玉料金が3円から4円以内に。国家公安委員会が承認。 ●成田空港が開港。
●プロ野球で空白の1日事件が起こる。
●日中平和友好条約が制定される。
1979年
(昭和54年)
●パチンコの日を「11月14日」に制定。
●第1回全国パチンコ感謝デーが開催。
●インベーダーゲームがブームに。
●東京サミットが開催される。
●サッチャーが先進国では初となる女性首相に。

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投稿日:2016年3月30日 更新日:

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